絶対の愛 TIME |
原題: 時間 시간(シガン)<2006> |
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監督 | キム・キドク(金基徳) | 作品一覧 |
出演 |
ソン・ヒョナ (成賢娥) |
<2001>真
心の斧、 <2004>女は男の未来だ、
<2004>スカーレット・レター、 |
ハ・ジョンウ |
出演作品一覧 |
【レビュー&ネタバレ】 |
すごい映画です。感動しました。 ' 感動作 ' なのではなく、その作品の凄さに感動してしまったのです。 この ' 時間 ' が、観客20万人を超えなければ、以降の作品は韓国では公開しない とまで断言したのも、この映画を観ればわかります。 キム・ギドク作品の中で、最も大衆的な作品だから。 それでも、観客が20万人を超えなければ、自分の作品は韓国で公開する意味がない と、考えたのでしょう。そう考えるのもわかる作品です。 ベルリン映画祭、ヴェネチア映画祭で受賞した サマリアや、うつ せみに並ぶ、すごい作品だと思うわ。 その時期作< 弓 >も圧倒される凄い作品ではあったけれど、 どこか独りよがりの自己陶酔が、不完全燃焼の不満を残しているわ。 けれど、この< 時間 >は、完全に消化しきり、観終えた瞬間、その衝撃に声を失ってしまうわ。 過去の作品は、どこか ' 自分のため ' に作っているような感じを受けたけれど、 この映画は完全に ' 外へ向けて ' 作られていることを感じるわ。 簡単に言えば、面白い! その一言。 ラストのトリックのような仕掛けは見事だわ。 キム・ギドク。まさに天才。 この映画は、' 整形手術 ' を題材にしているのだけれど、 描いているのは ' 愛 ' なのよ。 だから、<絶対の愛>というのは、間違っていないけれど、 観る気を失わせるような、センスない邦題にされちゃって残念だわ。 この映画のタイトルは、やはり<時間>であるべきね。 ただ、なぜ<時間>になったのか、なかなか理解しにくい。 <愛は永遠なのか?> 時間の流れの中で、そして繰り返される日常の中で、 人間が持つ’新しさ’に対する本能的欲望と、永遠の愛に対する熱望を描いた作品で、 一時は情熱的に愛したが、時間が経つにつれ、互いに鈍くなっていき、 トキメキが消えていくのを見守るしかなかった男女が ’整形手術’という極端な方法でトキメキを取り戻そうとするという内容。 <時間>というタイトルがなくなってしまったら、この映画は、行き先を見失うのでは? 一番大事なキーポイントを捨ててまで、<絶対の愛>にする必要はどこに? <絶対の愛>というタイトルに惹かれて観たという方が、どれだけいたかが気になるところだわ。 キム・ギドク監督は、この映画公開前に実質的な<韓国での映画監督引退>を表明。 20万人を超えなければ<韓国では公開しない>と言っていましたから。 実際、この映画の動員は3万人を超える程度で終わりました。 けれど、キム・ギドク作品にとっての ' 3万人 ' という数は、大きな意味を持っていると思うわ。 過去の作品では、数千人しか動員できないものばかりだったのですから。 ただ、全国上映ではなく、単館上映なので、致し方ない面もありますが..... それでも、やっぱり ' 3万人 ' という数は納得できない数ですわよね.... 7/14(土)にアメリカで公開になったこの映画。 ニューヨークタイムズが、そのレビューを載せたことで、かなりの話題になっているらしいです。 この作品は、それほどの作品なんです。 そりゃ、キム・ギドク監督が「この映画の価値をわからない方がおかしい」というのも理解できるわ。 韓国では3万人程度でも、全世界では1000万人の観客がいる。 と、キム・ギドク監督が悔しがるのも当然。 韓国での引退騒動の際、かなり世間からバッシングを受けました。 大人気ない発言をしてしまったために。 1300万人を動員したグエムル~漢江の怪物~に嫉妬して か、 韓国映画と観客のレベルが最頂点に一致した映画が グエムル ~ 漢江の怪物~だ。 と、TV討論で発言したの。これにより、世論の集中砲火を受けることになり 「ようやく韓国の観客の本音を知ることができたので、静かに韓国映画界から身を引くことができる」 と、引退を宣言。 以前、俳優のアン・ソンギさんに、サマリア に出て欲しいと出演依頼をしたことがあったが、 父親が娘をどうして殺せるのか」と断られたことがあった。 その時はただ残念に思っただけだったが、 今考えてみると、自分の映画観と思考に深刻な意識障害的な面があることを悟った。 皆が隠したがる恥部をわざわざ誇張して表現した自分の映画を情けなく思う。 美味しかった料理を、その後排泄物として出す際に、 それを避けようとする人々の心情をまったく理解しないで映画を作ってきた。自分が本当に恥ずかしい。 今回の事態を通して、自分自身が韓国で生きていくには あまりに深刻な意識障害を持った人間であることがわかった。 自分こそ、韓国社会で奇形として生まれ、劣等感を糧に育ってきた怪物のようなもの。 これまでの自分の作品がすべてゴミのようなもの。 新作< 時間 > についても、これを公開したくないと語った。 (グエムル関係者には、全面的に謝罪しています) キム・ギドク監督がどれだけ悔しかったか、理解できますか? なんとまぁ、ひねくれた発言。 でも、 弓 や、< 時間 >を観て、監督の気持ちを理解できたように思います。 初期の作品は、確かにアクが強くて万人に受け入れられるものではないし、 キム・ギドク監督の自己満足、ひがみの表れのようなものも見受けられると思うの。 < 春夏秋冬そして春 >が、全米でヒットし、 ようやく自分を受け入れてもらえたことで、監督自身に変化が現れ、 サマリア や、うつ せみ という作品にも、それが表れ、評価へとつながったと思うの。 映画に自分の不満をぶつけていた監督が、少しずつ変わりだした。 今まで、どれほど孤独だったのか.... そう思いませんか? たった一人で、自分だけを信じて戦ってきた者の孤独。 だからこそ、認められた時の天に昇るほどの喜びは、他人にはわからないものかもしれないわ。 それでも、韓国国民はまったく認めてくれない。 自分は、少なからずとも、映画祭で受賞したことにより、韓国映画界に貢献したはず。 なのに.... と思うのも、当然よね。悔しいわよ.... 次回作の 弓 だって、韓国国内では資本が 集まらず、日本の映画会社の投資により制作したそうだもの。 こんな発言したくなるのも当然だわ。 その表れとして、女優の起用理由に表れていると思うわ。 うつせみ のイ・スンヨンも、< 時間 > のソン・ヒョナも、微妙な位置の女優。 イ・スンヨンは、慰安婦写真集問題でバッシングされ、 ソン・ヒョナは、麻薬により有罪判決を受け、二人とも芸能界から遠ざかったいた女優。 ソン・ヒョナは、ヌード写真集により復活を遂げ、女 は男の未来だで、女優としても復活。 女は男の未来だ は、キム・ギドク監督が尊敬するホン・サンスの映画なので、 よけいに関心を持ったのかしら。 「たくさんの怒りを抱え、心の傷を胸に秘めながら韓国社会で生きてきた部分があると思うんです」 と、監督は二人について語っています。 二人の女優に、自身の悔しさを投影したのよね。 正直、mocaもキム・ギドク監督の発言、 「韓国映画と観客のレベルが最頂点に一致した映画が グエム ル~ 漢江の怪物~だ」 には、うなづけるものがあると思うもの。 過去の作品はどうであれ、この< 時間 >という映画は、もっと多くの人が観てもおかしくない映画よ。 mocaは、<グエムル~漢江の怪物~>と比べ物にならないほど面白かったわ。 結局、キム・ギドク監督は新作< ブレス >も、韓国国内で公開しました。 実質的に、引退を撤回。< 時間 >を観てくれた3万人のために戻ってきた、と語っています。 グエムル~漢江の怪物~ は、立派な映画で、1000万人の観客動員を誇るに値する。 しかし私は、10年間で13本を作り、海外映画祭で30余りの賞を受賞し、100余りの国に輸出し 韓国の文化的イメージ向上に大きな役目を果たしてきたと思っている。 そうした意味で、 グエムル~漢江の怪物~& nbsp;の50分の1ほどの20万人ぐらいは見てくれたら という切実な願いがあった。しかし、20万人は夢でした。 今は途方もない期待はせ ず、1万人、あるいは1000人でも感謝しようと思っています。 と、eメールでコメントしたそうです。 このeメールという形式を取ったのが、キム・ギドク監督の悔しさを物語り、 悔しくて興奮すると、大人げない発言をしてしまうキム・ギドク監督の幼稚さを物語ってるのでは。 キム・ギドク。もう50歳近いおじさんです。でも、見えないでしょう? 若い、というか.... 子供のようね。 この手の平に描かれた絵といい... 次回作の< 時間 > のモチーフでしょう? やることも子供じみている(笑) 自分の作品について語る時も、子供みたいな顔で語るのよ。 この人は、子供のまま大人になっちゃったんだなぁ...って思ったわ。 いい意味でも、悪い意味でも。 子供のように純粋だから、後先考えず感情のまま発言しちゃて....(苦笑) 計算高い人間より、mocaはずっと好きですが。 こんな人だから、あんな凄い映画を撮れるのだと思ったし、 世論も、もっと大きな心で包んであげて欲しいと思いますね。 この人は、純粋すぎるんです。 初期の映画では、あれほどあからさまに自分の中に溜まった鬱憤をぶつけ、 自分の映画で世に知らしめる...というパワーを感じたというのに、 「映画というのは、コミュニケーションであって、権力になってはいけないと私は考えます」 と、最近では発言しているわ。 それどころか... 「私は映画を通し、生きることが ' 辛い ' と感じている人に、 少しでもエネルギーを与えることができたらいいと願っています。 自分の作品が、観る人にとって医者のような役割を果たしてくれたらいいと思っています」 なんて言ってるの。 自分の中の悔しさを消化したことにより、ようやく外へ向けて発信できるようになったのよね。 ようやく本来の自分に戻れた。 これって、歪んだ現代社会にも置き換えられること。 今、何が必要なのか。 引退を撤回したことで、「言葉に責任を負う事ができない」という非難も多数受けたようですし、 mocaも、さすが「韓国人」だなんて決め付けちゃったけれど、 この作品を観て反省しました。 前置きが長くなっちゃいましたね... さて、この映画ですが。冒頭の数分は目を覆いたくなるような映像です。 正直、mocaはその間まったく画面を見ませんでした。 観れないちゅうの! 整形手術の生々しい実際の映像が映し出されるのです。 これは、耐えられない.... 医者って偉い!と思ってしまったわ。 この映像を観ても手術をしようと思う人も、かなり勇気ある人だし それほどまでに思いつめているのだと思ったわ。 眠っている間にキレイになれます! なんて言っている医者は、ロクなものじゃないかも。 この映画では、ヒロインが手術を決意する時にも、この映像を見せるんですね。 何度も、何度も、意思を確認する。 それくらい、整形手術というのは ' 大ごと ' なんですよね。 思い知らされました。 ' 整形大国 ' の韓国だからこそ、この映画の果たす役割は大きいんじゃ? なのに、3万人.... ちなみに、キム・ギドク監督本人は、 「整形に対するアンチテーゼ」とも、 「整形を擁護する作品」とも言い切ることはできない。そのどちらでもない。 と言っております。 そんなことではなく、この映画は、 ' 整形手術 ' を題材に、人間の本能を見事に描いているのです。 この映画は完璧。 その上、最後まで目の話せないテンポのよさと娯楽性。 シニカルで、シュールで、ウィットに富んだ笑い。 スタイリッシュで美しい映像。 キム・ギドク監督に ' スタイリッシュ ' は無縁だと思っていただけに、驚いたわ。 セヒやジウの家も、インテリアから何から、スタイリッシュで美しい。 弓 でも、そのずば抜 けた色彩のセンスに唸ったけれど、 前作でのアジアンちっくな色彩とはまったく変わって、洗練された都会の雰囲気。 やっぱり、画家を志していただけあるわ。 映像からも、センスの良さが溢れて、、、 ↑の予告編で、ヒロインが床に並べた写真を踏みながら歩いているけれど、 このシーンも、名シーンよ。 ' うつせみ~空蝉~ ' を彷彿させられたわ。 よくこういうことを思いつくわよね。天才としか言いようがない。 今回、一番気になるだろうシーンが、海辺の彫刻公園。 奇抜な彫刻がたくさん。中でも何度も出てくる両手の間の階段は印象深いわ。 この公園は、彫刻家の所有地で、カフェが併設されているそうよ。 このペミクミ彫刻公園(배미꾸미 조각공원)がある茅島(モド)は、(仁川)インチョン近くにあり、 潮の満ち干の差が激しいせいで、この両手の彫刻は、満潮時には海の中に浸かってしまうの。 すごく幻想的でステキじゃない? ぜひ行きたいわ。よく見ると、エロくてえげつない彫刻が多いですが... こんな何気ない木にさえも、芸術性を感じてしまったり。 この木が出てくるシーンは、2回あり、 一度目はハ・ジョンウが蹴り飛ばし、二度目はソン・ヒョナが蹴り飛ばす。 印象深くて、好きなシーンです。 唯一、スタイリッシュな映像の中で、リアルさが伝わってくる。 弘益大学(홍대)前にある Room & Rumour セヒとジウが愛したカフェ、ということで、度々登場しますが、ぜひ行きたい! こんなステキなカフェ、見たことないわ。 この1つのお店の中に、いろんな空間があるの。 窓際のテーブルにも座りたいし、右下のソファにも座りたい。 お面を被ったセヒがかけていた、レンガの壁際のテーブルにも座りたい。 ハ・ジョンウがニタニタしながら見ていたウェートレスの女の子(↑右下写真) 可愛い子だなぁ、と思ったら...日本人ですって。 ソ・ヨンファという名前で、韓国で活動しているそうですが、 杉野希妃(すぎのきき)という日本人の女の子だそうです。
後半出てくる謎の男のうち、最初の男はソ・ジソクでした。 弓 で注目を浴び、< 19の純情 >に抜擢され、< 不良カップル >にもキャスティングされたのに、 入隊通知が来て、入隊してしまいました。潔いわよね。 1981年9月生まれ。今年26歳(日本年齢) 除隊が楽しみな俳優さんね。 弓 ではまだあどけな さが残っていたのに、すっかり男らしくなっちゃって... ドキドキしちゃったわよ。 そして、 マイ・ボス マイ・ヒーロー 3& nbsp;で、テガリにキャスティングされた まだ無名に近いキム・ソンミンが、整形医で出演。 やっぱり、期待される俳優って何かが違うのよね。 キム・ソンミンの出演作は初めて見たけれど、すごい存在感だわ。 同じく、主演のハ・ジョンウも、まだ無名に近い頃で.... 只者じゃない雰囲気を漂わせているわ。 決してイケメンとは言い難く、なのに、目が離せない。 キム・ギドク監督が「手放したくない俳優」と言ったのも頷けるわ。 ソン・ヒョナは、印象が薄すぎるのよね.... 絶対に顔を忘れちゃう。 キレイだけれど、女優にしては平凡だし。 カフェで一瞬会っただけなのに、船の中で再会し 「あ!」なんて気づくなんてありえない。 ソン・ヒョナは、どうしても 真心の斧 の印象が強くて..... ここまで別人だと、違和感がありすぎ....... 二重の手術をしたことは本人も告白してますが、 この整形は成功と言っていいものか。 この印象の薄さが気になって仕方なかったけれど、演技はド迫力。 ラストの鬼気迫る演技は見事だわ。 ソン・ヘギョも「俳優としての看板が欲しい」なんて言うなら、こういう役にチャレンジすればいいのに。 言ってることにやってることが伴なわないのよね。 キレイごとばかり並べて。 理想の人を聞かれ、「私のヒステリーも受け止めてくれる人」と答えるだけあるわ。 それに比べ、キム・ギドク監督の コースト・ガー ド で、 自ら枠をブチ壊したチャン・ドンゴンはすごいと思うわ。ブラボー! この映画は、観ないとわからないわ。 内容としては、あらすじのまま。簡単なの。 けど、セナの異常なまでの愛に目を離せなくなっていくの。 整形前と整形後では、演じる女優が変わります。 そして、名前も ' 세희 'から ' 새희 ' と変わるのですが、 日本語で表記すると、どちらも ' セヒ ' なので、紛らわしい。 書き分けるなら、' セヒ ' から ' スェヒ ' に変わった。 結局、ジウが今でも自分のことを愛していることを知ったセヒ。 (もらった手紙を大切にするジウが可愛いの。落書きされた手紙をカッターで削ったり) 以前の自分に戻りたくてもどうすることもできず、精神が破壊されていってしまう。 昔の自分の写真をお面にして被って現れたセヒ。 (このセンスがキム・ギドク!天才!) ジウは自分をつなぎとめるために姿を消し、整形をし、他人となって戻ってきたセヒを理解できない。 怒ってセヒの目の前から消えてしまう。 しかし........... では、結末です。 セヒが姿を消す前は、他の女に目を奪われデレデレしていたジウ。 姿を消した後も、「寂しい」とか言いながらも 他の女を追いかけていたジウ。 こういう男の本質が、女を整形に追い込むのだと言わんばかりのキャラクター そのジウが、誰よりも、深く、深く... セヒのことを愛していた。 消えたジウを想い、一人泣き暮らすセヒに、整形医から電話が。 ジウは、セヒのことを深く愛しているという。 整形医から見せられた写真。 そこには、整形手術を受けるジウの姿が。 ジウは、新しい顔になってセヒの前に現れるだろうと、医師は言う。 その日から、セヒは新しい顔になったジウを捜し始める。 狂ったように。 思い出のカフェでジウを待てども、待てども、ジウは現れない。 この人!? と、思えば、まったくの他人。 しかも、その相手と関係を持とうとすると、必ず誰かに邪魔される。 以前自分がジウの邪魔をしていたように。 セヒとジウの立場が逆転したのだ。 セヒは狂ったようにジウを捜すが、みつからない。 唯一の手がかりは、握った手の感触。 顔が変わっただけで、相手を見分けることができなくなってしまった恐怖。 <その人>を示すものは、<顔>だけなのか? ジウは、顔が変わっても、セヒに自分に気づいて欲しかった。 本物のジウは明らかになっておりませんが、壁一面にセヒの写真を飾っていた男でしょう。 ジウが消えた直後からの写真が飾ってありますし、セヒをストーキングして邪魔していた証明ですから。 顔が変わっても、セヒは自分に気づいてくれる。 だから、「俺はジョンウだ」と、嘘をついた。 けれども、セヒにとっては、<顔>が変わったらわからなくなる程度の存在だった。 (それは、ジウも同じ) 傷ついた男は、シーツをすっぽり被り、照る照る坊主のようにシーツを巻き付ける。 これは、セヒが姿を消す直前、別の女を想像してセックスしたジウに傷つき取った行動と同じ。 まさしく、ジウを示しているように思いますが。 世間一般の<愛>なんて、その程度のもの...という、監督のアイロニーなのか。 <顔>はそれほどまでに大事な<存在証明>だと言いたいのか。 結局、ジウをみつけられないセヒは、我をも見失う。 自分の存在証明を見失い、狂って行くセヒ。 結局、またもや整形外科の病院を訪ねていく。 そして、二度目の整形。 どんな顔になったのか、誰にもわからない。 もしかしたら、元のセヒの顔に戻ったのかもしれない。 そこで、冒頭の元のセヒと衝突する。 これが、監督が言っていた「最後にはどちらがどちらかわからなくなる」というラスト。 シュールで、皮肉めいた、見事なラストに声を失う。 時間はループし、つながる。 こうして、セヒとジウは延々と無限大に同じことを繰り返していくのであろう。 永久ループ。 ある意味、永遠の愛。 |
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