ネオンの中へ陽が沈む  Sunset into the Neon lights 
 原題:ネオンの中へ陽が沈む 네온속으로 노을지다(ネオンソグロ ノウルチダ) <1995>

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ネオンの中へ陽が沈む

イ・サンミン(チェ・シラ)は、財政難から出版社を放りだして失踪してしまった キム・ウォン(キム・ ウィソン)のことを胸に秘め、コピーラ イターとして広告代理店に入社する。そして、会社のソ・ジホン部長(ヤン・グムソク)と、キム・ギュファンCF監督(ムン・ソングン)と出会い、ギュファ ンから刺激を受けながら仕事に闘志を燃やすよう になる。

そんな彼女に重要なプロジェクトが任され、ギュファンとの競争と協調を経て、彼女の広告コピーは成功を収めることになる。内気だったサンミンは、徐々に自 信家のソ部長に似て いく。そんなサンミンの前に、失踪したキム・ウォンが突然現れる。








監督 イ・ヒョンスン(李鉉升) <1995>ネ オンの中へ陽が沈む、 <2000>イルマーレ、 <2004>20のアイデンティティ、<2010>夜霧

出演

ムン・ソング ン

<1995>ネ オンの中へ陽が沈む、<1997>グリーン・フィシュ、<2000>秘 花 スジョンの恋
<2003>嫉妬は私の力、 <2005>オーロラ姫、<2006>韓半島、 <2006>頭脳遊戯プロジェクト,パズル、
<2007>SOO ス、<2009>カン・チョルジュン 公共の敵1-1

チェ・シラ

<1995>ネ オンの中へ陽が沈む

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【レビュー&ネタバレ】
イ・ビョンホンが特別出演してい るということで日本でも注目を浴びた作品ですが、
なんせ、1995年ですから.........
ちょっと観るのに厳しいものがありますな.............
ビョンホンファンにとっては見逃せないかもしれませんが、
それ以外の方にはまったくオススメしません。
イ・ビョンホンの出演シーンは、数分どころではなく、数十秒........
え゛
という速さで終わります。
終盤近く、アフリカでのCFの映像です。
YAHOO動画で無料配信していたので、「無料ならいいか」と、視聴。
有料ならぜーったいに観ません。

昔の韓国映画にも面白い作品はあるので、ちょっと興味を持ったのではありますが、
かなり文学的な深い映画で、大衆性のない映画ですね。
決して「楽しい」映画ではありません。
男尊女卑の強い韓国(しかも1995年)で、一人の女性が果敢に生きていく姿を描く....
ということですが、テーマ的にも、現代の日本では更に共感を呼びにくい。
ただ、人間の本質を鋭く描いた作品が、1995年の韓国にあったことにちょっと驚きました(すみません)
その上、監督がイルマーレ のイ・ヒョンスンだということに更に驚き。
きっとこの人は、感受性が鋭くて、潔癖なくらいに純粋な人なのだと思いました。
だから、このような深い映画も、イルマーレのように純 粋で美しい作品も作れた のですね。
そして、監督も心に傷を持つ人なのでは?と思いました。
劇中のキム・ギュファン監督は、イ・ヒョンスン監督自身を投影しているのではないでしょうか。
キム・ギュファンの最期が、イ・ヒョンスン監督に重なってしまって心配です。


主人公二人。
男性、ムン・ソングンは、けっこう色々な映画で観てるのですが、
日本では馴染みが薄いでしょう。
俳優としてだけでなく、<グリーン・フィシュ>や、ペ パーミン ト・キャンディーオアシ ス
などを製作したイーストフィルムを、お客様は神様だの ミョン・ゲナムらと 設立しております。

ヒロイン、チェ・シラは、この人だあれ?状態ですね。
ソ部長は、ドラマ<ピアノ>のボスの奥さん。
やっぱり、こういったかっこいい女性が似合うわぁ。


ヒロインであるイ・サンミンは、大学時代の先輩キム・ウォンが運営する出版社で働いていたのだけれど、
出版社が経営難になり、キム・ウォンは海外へ失踪してしまうの。
ウォンからの電話にサンミンは、「先輩が辛いなら、詩を書くことだけに専念して。残ったお金の問題は私に任せて」と、涙ながらに訴えるけれど、戻ってこ ず。
こんな健気な女を残して......
で、逃げた先のインドからハガキをよこして、
「ここは純粋な心一つで生きれる場所だ」なんて書いていて.........
確かに、商業主義ではなく、よい作品を世の中に出すという純粋さのために
出版社は経営難になってしまったわけだけれど、
それを無責任に投げ出して逃げ出してしまう人間を’純粋’と呼んでいいものか.....
純粋な人間ばかりの世の中であれば、よい作品が売れるわけで、
世の中が悪いといえば悪いけれど、経営者としてはねぇ.....
あくまでも、芸術家としてだけならば話は別だけれど。
「インドは純粋な心一つで生きれる場所」
その言葉は、mocaの心にズシリと響いちゃいました。
ダメだよ、行きたくなっちゃうじゃない。

話は反れましたが、
広告コピーライターである女性一人が、社会とぶつかりながら自分の社会的アイデンティティと共に、
女として、男性社会の中で生きていきながら生まれる社会的な苦痛に対する話を私たちに聞かせる。
その上、サンミンは未婚でありながら妊娠してしまい、
批判的で抑圧的な社会に対して、対抗しながら生きていく様を描いています。

もう一人の主人公、CF監督キム・ギュファンは、 ‘80年代の光州事件を記録した写真作家’
鎭圧軍が市民を足で蹴り、こん棒を振り回す暴力的な写真などを事細かにに撮影。
キム・ギュファン監督のカメラマンとして、世の中で起きる真実を、正確に大衆に知らせようとした。
しかし、現実で起きる社会の不條理さと腐敗は、彼が写真作家を辞め、CF監督の道に入るようにさせる。

「...私がそんな写真を撮ったからといって、この世の中は少しも変わらなかった.. 」
「愛なんて虚像。だからこそ、人は求め続けるんだ。人と人の関係なんて、互いに消費し合うだけだ」

あまりにも言葉の意味がわかりすぎてしまうセリフ.............
キム・ギュファンだけでなく、サンミンもCFを通して世の中に訴えようとした。
けど、そんなことは無駄。世の中なんて変わらない。
二人だけでなく、今までどれだけ多くの表現者たちが、
情熱を燃やし、そして、腐敗した世の中に絶望していったことだろうか..........

そして、ギュファンも悟ってしまう。
自分も何も変わらない。同じ人間なのだと。

生命に危険があるという事実が分かっている状況では、写真よりは人命が重要であり、
人の安全性を考慮して写真を撮らず、その人の行動を沮止するはずが、
写真を撮るという任務自体が重要で、その人の安全性など考慮しないこともあるということに対する問題。
ギュファンは女が屋上で全身に石油を振り撤いて飛びこみ自殺しようとする場面を見つけて一次的に迷う。
「やめろ!」と叫ぶが、言葉と行動が一致しない。
自分でも気づかぬうちに本能的にカメラシャッターを切った後だった。
それ以来、ギュファンは悔やみながら生きてきた。
撮った写真を燃やすが、写真が消えるだけで、彼の記憶の中では消されない映像として残っていた。
そして、何年もの時間の経った後、彼の撮った写真が自分も知らぬうちに
<80年代韓国の抵抗的イメージ>というタイトルで、写真集として出版された事実が分かり激怒する。
写真を出版するようになれば、経済的な収入が生ずることは当たり前なことだが、
少なくとも彼は、商業的な目的を念頭に置いて撮影はしなかったという点で慰安を 持っていたので、
唯一の心の救いさえも失ってしまった。
だから、自分の二の舞を踏もうとするサンミンに協力できなかったのだ。
「他人の苦しむ姿を撮影してヒューマニズムを刺激しようとする広告の製作意図に同意できない」
同じ過ちを繰り返したくないから。

ギュファンの撮ったルワンダの映像を見たサンミンは、
ようやく自分が犯そうとしていた過ちに気づき、CFの内容を変更する。
そして、サンミンは臨月となり、「不道徳だ」と、批判する会社側に抵抗しながら子供を産む。
ギュファンは.........
ゴミに埋もれながら死んでしまったのでしょうね............
「他人の苦しむ姿を撮影してヒューマニズムを刺激しようとする広告の製作意図に同意できない」
その想いを伝えることができて、心置きなく死ぬことができたのかもしれないですね....
心から消せない傷を負った者は、死しか救いはないのかしら......
どんないきさつで死んでしまったのかわからないけれど、
ギュファンはようやく安堵を得ることができたのでしょうか。
純粋な人がこの世で生きていくことは難しすぎる....
傷つかずに生きていくことなどできないから。
生きていれば、必ず自分の望まぬ選択をせねばならないこともあるものだから......
それを責め続けて、苦しんで........





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