空気人形    Air Doll  
 原題: 空気人形 공기인형 (コンキ イニョン)<2009> [ 日本映画 ]

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古びたアパートで、秀雄(板尾創路)と暮らす空気人形(ペ・ドゥナ)に、ある日 思いがけずに心が宿ってしまう。

人形は持ち主が仕事に出かけるといそいそと身支度を整え、一人で街歩きを楽しむようになる。

やがて彼女はレンタルビデオ店 で働く純一(ARATA)にひそかな恋心を抱き、自分も彼と同じ店でアルバイトをすることに決めるが…

公式サイト:http://www.kuuki-ningyo.com/
【予告編】
監督 是枝 裕和 <1995>幻の光、<1999>ワンダフルライ フ、<2001>DISTANCE、<2004>誰も知らない、
<2006>花よりもなほ、<2008>歩いても 歩いても、
<2008>大丈夫であるように -Cocco 終らない旅‐、<2009>空気人形

出演

ペ・ドゥナ (裵斗娜) 出演作品一覧

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【レビュー&ネタバレ】
第62回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映。
原作は業田良家の 『 ゴーダ哲学堂 空気人形 』
ですが、原作は20ページほどの短編なので、是枝監督のオリジナルと言っていいのでは。

まず、冒頭からネタバレ(?)ですが、「空気人形」とは、ダッチワイフのことです!(笑)
mocaは、それを知らなかった!
「空気人形」という美しい響きと、「ファンタジー」と聞いていたことから、
かなり予想を裏切られました...
なので、「心の準備」を!ということで、最初に申し上げておきます。

ペ・ドゥナは日本アカデミー、高崎映画祭、東京スポーツ映画大賞で主演女優賞に選ばれた。

この映画が、「いい!いい!」と言われるのは、
映画がいいというよりも.... ペ・ ドゥナの演技がい い!!
と解釈してよいと思います。
映画自体も独特なテイストで、シュールなファンタジー。
ある意味残酷。
いわば、マザーグースのような残酷さ、と言えばいいでしょうか。
注目を浴びる映画だとは思います。
ですが、この映画は「ペ・ドゥナありき」です。
映画としては、かなり好みの分かれる映画かもしれません。
でも、退屈な映画ではありません。
ただ、商業映画というよりも、芸術映画ですね。
エンターテイメントではありません。
心に空虚感を抱えたまま都会で生きている人間らがサブストーリーとして登場するのように、
この映画は、都会で生きる人間が抱える空虚感を描いています。
その空虚感を中身が空っぽの空気人形との対比により、
人間が人間であるために、
人間として生まれてきた幸せを噛み締めるために、
どうしたらよいのか?
人形が切望した「人間の持つもの」を持っている人間らしさ。
それを拒否している人間だからこそ生まれる心の空虚さ。
そのアイロニーを描いています。
「東京」という都会で生きる人間の空虚さ。
これは、今更日本人に向けて描くこともないと思います。
この映画は、世界に向けて「日本」の抱える危険さを知らせるための映画だと思います。
韓国人であるポン・ジュノが制作したシェイキング東京のよう に、
他国の人間から見たら、東京で生きる人間は危険信号を発しているように見えるでしょう。
その危機感を危ぶむ警告です。

劇中で、おじいさんが教えてくれる「生命は」という詩。
この詩も、この映画の大事なキーワードになると思います。

 生命はすべて そのなかに欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ
 世界は多分 他者の総和
 しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず 知らされもせず
 ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄
 ときに疎ましく思えることさえも許されている間柄・・・
 花が咲いている すぐ近くまで 虻の姿をした他者が光をまとって飛んできている
 私もあるとき 誰かのための虻だったろう
 あなたもあるとき 私のための風だったかもしれない

ペ・ドゥナの演技と、この作品の持つ斬新さ。それが見所。
ペ・ドゥナでなければ、この映画はこれほどまでに良い映画にはならなかったでしょう。
人形なのか、人間なのか、その境目がわからないほど、
ペ・ドゥナは心を持ってしまった人形を熱演致しました。
mocaはペ・ドゥナは大好きですが、この映画で女優としての才能を改めて感じました。

 -私は空気人形。性欲処理の代用品です。
 -私は空気人形。型遅れの安物です。

このセリフがせつない....

一番の見所。
ペ・ドゥナ演じる”のぞみ”が釘で体に穴を開けてしまい、体がみるみるうちに萎んでいく。
そしてのぞみを助けるために純一が体に息を吹き込むシーン。
エロティックと感じる人もあるかと思いますが、
体に少しずつ空気が吹き込まれていく様子が、あまりにもリアル。
ペ・ドゥナが人形に見えます。
この演技ができる女優を探すのは困難でしょう。
そして、ペ・ドゥナの持つ不思議さ。
これが”人形”というキャラクターに絶妙にマッチしています。
心を持った空気人形”のぞみ”
まるで生まれたての赤ちゃんと同じです。
何も知らない無垢さ。
それも、ペ・ドゥナは自然に感じさせてくれます。
これだけで、少なくとも日本の女優には演じきれる女優がいるとは想像できませんね。
その上、大胆なオールヌードです。
ペ・ドゥナは、いやらしさをまったく感じさせず、裸の人形を見ているような感覚にさせてくれます。
このオールヌードも、日本の女優ではハードルが高すぎるでしょう。
しょせん、日本の若手女優はアイドルです。
是枝監督も、元々日本の女優には演じさせるつもりはなかったとおっしゃってます。

オールヌードに期待して観る方もいらっしゃると思います。
それは人それぞれですから、否定しません。
ですが、「ヌードありき」で、このサイトに来た人にヌードのキャプチャを見せたくないので載せません。
ヌードに興味を持って映画を観て貰えれば、それもあり。
それがmocaの考え方ですが、「エロ目線」でペ・ドゥナちゃんのヌードを見て欲しくありません。
ここまで努力した彼女の努力が報われません。
彼女の出演作をいくつか観ていれば、彼女が様々なキャラクターを演じられる女優だと御存知でしょう。
この「のぞみ」もペ・ドゥナだからこそ、
純粋無垢で愛らしい、生まれたての赤ちゃんのような「のぞみ」となったのです。
たどたどしい日本語がマッチしているのは然り。
ですが、本当はもっと発音がキレイなんですよね。
あまりにも勘がよくて、どんどん日本語の発音がうまくなっていってしまうので、
「もう少しカタコトで」と、監督が頼んだそうです。

そして、新鮮だったのが純一を演じたARATA
mocaは初めてARATAを見ました。
正直、mocaのタイプではありません。
しかし、映画を観ているうちに、ARATAがどんどんカッコよく見えてくるのです。
人間の魅力というのは、内面からにじみ出るものなんだなぁと、つくづく感じました。
のぞみに教えるように並んでDVDを磨くシーンが大好きです。
純一の持つ「寡黙さ」は、おとなしいのではないのです。
寡黙と、おとなしいの違いをわかっていただけるでしょうか。
純一は内面に、非常に哲学的な世界観を持っているために寡黙なのです。
「命」に対する深い世界観。
いわば、悟りを開いたかのように。
「のぞみ」が人間ではなく人形だと知った時の対応も、
そんな純一の持つ独特な世界観を知らしめるためのシーンだと思います。
秀雄の対応と対比してみると、よくわかります。
ラストで、「君にしか頼めない」といった純一の願い。
これは様々な解釈があると思います。
男女によっても、その解釈は見事に分かれることでしょう。
ロマンティックに解釈するか、
それとも、現実的に解釈するか。
答えは、純一の言葉の中にあると思います。
「のぞみ」の空気が抜けた時どうだった?と純一は尋ねます。
「苦しかった」
と、のぞみは答えます。
その上で、のぞみに頼むのです。
純一は生花を買っては、ドライフラワーにしています。
ここにキーワードが隠れていると思います。
のぞみに「いつかは死ななくちゃ。じゃないと世界は生命で溢れてしまう」
と言っていた純一。
生命にとって「死」は当然のだと受け止めている純一。
その純一が生きた花をドライフラワーにし、その美しさを永遠に閉じ込めようとするワケは?
のぞみの空気を抜きたいという願望と、
また空気を入れてあげるからという行動。
ここに純一の世界観と、抱えている空虚感が表れていると思います。
純一にとって「のぞみ」の存在自体が、心を満たしてくれたのです。
「生命は」という詩のように、純一にとってのぞみの存在は「純一のための風」だったのです。
だけれども、皮肉にも「のぞみ」には、それが理解できなかった。
自分がしてもらって満たされたことが、相手にとっても満たされることである。
まだ「生まれたての心」しか持たない「のぞみ」にとっては、
純一と自分の違いにさえ気づけなかった。
けれど、「誰かにとっての風」になっていることは、
のぞみだけでなく、気づけない人の方が多いのでは?
それに気づければ、心の中の空虚感も消えるのかもしれません。

そして、最後にこの映画の逸材の一人、オダギリ・ジョー。
オダジョーは、「のぞみ」を作った人形師という配役で、出演分量はわずかです。
このわずかな出演分量でありながらも、ただならぬ存在感を放ちます。
オダジョーは好きではないのですが、彼の持つ存在感というものを実感しました。
彼は「カメオ」的な出演をさせたら、最高ではないでしょうか。
一瞬にして、観客を惹き付けてしまう。

で、最後に板尾創路。
まぁ、逸材は逸材なんですが... 秀雄のキャラクターが最悪で、
あれだけ最悪に見せられたのも、板尾さんあってのことだとは思うのですが、
キャラクターが最悪だと、誉める気になれませんね
これが役者の不幸なのかも...
とにかく秀雄は、女性からは非難ゴーゴーだと思います....
秀雄のキャラのせいで、mocaのストレス倍増!
男の生理とやらは理解できます。
が!
秀雄の場合は、そうじゃなーい!
人形相手にしか自己顕示できない超肝っ玉のちいせー男。
しかも、その上自尊心まで高いときた。
自分のことしか考えられない空気の読めない男。
その上、無能。
取り得ねーぢゃんっ!

実際、人形(空気人形?)と暮らす人っているらしいです。
いろんな事情でそうしている人がいるでしょうから、mocaの言っているのは「秀雄」に限ってです。

「お前が面倒なんじゃない、人間が面倒なんだ」
という秀雄のセリフ、理解できます。
ですがっ!
秀雄が言うには納得いきません。
あんたみたいなヤツがみんなに迷惑かけたりストレス溜めさせんだよ。
職場で失態ばかりの無能野郎。
周りの迷惑考えやがれ。
自分でもできる仕事をみつけろよ!
その上なんだ?
家に帰れば無能な同僚のせいで自分が大変だ、みたいに偉そうに見栄張りやがって!
しかも人形に!
人間相手じゃ、そんなのそのうち見抜かれるからナ!
まったく。
迷惑かけてるのを反省すらしないその性格!
恥ずかしくないのか。
これに腹が立って仕方がない。
いるんですよ、mocaの同僚にね。
「パソコンできます。○○の経験あります」
って大嘘ついて入社して、なーんもできねー!
仕事おせーし。間違いばっか。
PCの仕事なのに、PCできねーでどーすんだよ!
mocaは毎日毎日尻拭いばかり。
しかも、大変な仕事はみんなmocaがやんなきゃなんない。
で、反省なんて全くしておらず。
何度言っても無視。
つーか、ヤル気なし。自分がラクすることしか考えない。
やんなければmocaがやるのをわかってるから。
したたか。
どーせ秀雄のように、他では自分がデキる人間のように言ってるんだろうよ!
あー腹の立つ!
mocaの同僚は女だからねぇ。
しかも、したたかだから秀雄のような境遇にはなりませんが。
秀雄はみんなから嫌われんでしょ。

「共有地の悲劇」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100521-00000001-president-bus_all
(↑コピペしてください)

こんなニュースがありました。
でも、納得できねー
チャンスも何もねーもんだー
もうmocaは入社前にバッチリ経験積んでるからメリットはねーよ。
mocaは、どーしたら救われるんでしょ。
相手はしたたかだから、ずーずーしく居座るだろうし、
ストレスを溜めながら我慢するか、mocaが辞めるしかないってことなのよね。
ほんと理不尽だ。

と、話は反れましたが
秀雄のキャラ設定というのは、やはり「生命とは」の詩から読み取れます。
「人間が面倒だ」
そう言って、人間との関係を断ち切り、人形だけが唯一の存在。
人間との関係があるからこそ、蚊になることもあれば、風になることもある。
そうして満たされて「生きている実感」を得るのである。
秀雄の生き方は、人間として生きることを拒否してしまっているということ。

けっこう深い映画なのよね。
空気人形の名前が「のぞみ」であるように、
監督は心に空虚感を抱えている人への希望を与えるために創ったのだと思います。
ラストは、あまりにもショボいですが...


↓  日本映画&日本語DVDが発売されていますので、ストーリーはあらすじ程度にします ↓



人形の「のぞみ」と暮らす、うだつの上がらない40男の秀雄。
ファミレスのウェイターとして働く秀雄は、家に帰ると「のぞみ」相手に一日の愚痴をこぼす。



そして夜になれば、「のぞみ、キレイや」と、「のぞみ」相手にSEX。


そんなある日。人形である「のぞみ」は、持ってはいけない「心」を持ってしまう。
秀雄が留守の間、のぞみは街へ出かけ、レンタルDVDショップで「純一」という男性に一目で恋してしまう。
「自分と同じように心が空っぽに見えた」と。
純一のそばにいたくて、のぞみは同じ店でアルバイトすることに。
しかし、純一に惹かれていくほどに、秀雄に抱かれることに拒否感を覚えるようになってしまう。
秀雄が眠った後、こっそりシャワーを浴びて身を清めるのぞみ。
「人間は老いる」
という純一の言葉を聞き、「自分も歳を取りたい」と、自分に空気を入れる空気入れを捨て、
「私も歳を取るんです」
と、嬉しそうに話すのぞみ。



ある日のぞみは、自分が購入された時に入っていた箱をみつけてしまう。
5,980円。
それが「のぞみ」の値段だった。

-私は空気人形。性欲処理の代用品です。
-私は空気人形。型遅れの安物です。

のぞみは、自分の存在価値を見失ってしまう。


ある日、のぞみは店内で釘に引っ掛けて体に穴を開けてしまう。
みるみる萎んでいくのぞみ。
それに気づいた純一は、慌ててセロテープを持ち駆け寄る。
「見ないで!」
好きな人に知られたくない、見られたくない、
のぞみのせつない気持ち。
しかし純一は「空気穴はどこだ?」と、問いただす。
ヘソにある「のぞみ」の空気穴に息を吹き込む純一。
どんどん膨らんでいく「のぞみ」の体。
「のぞみ」は、体が純一の息で満たされていくのと同時に、心も満たされていった。



秀雄は別の空気人形を購入し、「のぞみ」と名づけ、ケーキにロウソクを灯しお祝いをしていた。
それを見てしまったのぞみ。
「私は誰かの代わりなの!?誰でもいいの?!」
秀雄を責めるのぞみ。
「悪いんだけど、元の人形に戻ってくれへんかな?めんどくさいねん。こういうの」
秀雄の言葉に傷つき、のぞみは家を飛び出してしまう。



のぞみは、自分を創ってくれた人形師の元を訪れる。
「お帰り」
と、のぞみを迎える人形師。
人形師は語る。
人形が戻ってきた時、顔を見れば「持ち主に愛されていたかわかる」と。
そして、人間も変わらないと告げる。
死んでしまえば、「燃えるゴミ」になるだけだと。

のぞみは、純一の元へ向かう。
「あなたのためなら、何でもする」と。
純一は、「君にしか頼めないことがある」という。
空気を抜かせて欲しいと。
また空気は入れてあげるから大丈夫だと。


↓  結末ネタバレ ↓


純一に空気を抜かさせてあげるのぞみ。
そして、再び純一はのぞみに空気を吹き込む。
純一の空気で体が満たされることにより、心が満たされるのぞみ。

のぞみは、「僕も空っぽだ」と言っていた純一の心を満たしてあげたいと、
眠っている純一の腹をハサミで切り裂き、セロテープで塞いでやる。
そして空気を吹き込もうと空気穴を探すがみつからず、
のぞみは口から空気を吹き込むが、純一はそのまま死んでしまう。
純一を想うあまりの悲劇。

のぞみは、純一を「燃えるゴミ」に出す。
純一の「死」の意味を悟ることができない人形ののぞみ。
そして、空気を入れてくれる人のいなくなったのぞみも、
いつしか空気が抜けていき、死を目前にしていた。
自ら、「燃えないゴミ」置き場に横たわるのぞみ。
その姿を、やはり心に空虚感を抱え生きている拒食症の美希が窓から眺める。
「キレい」
美希はつぶやく。
のぞみも心を持った瞬間、雨の雫を見て「キレい」と呟いた。
美希もあの頃ののぞみと同じように、心を持ったのだ。
のぞみが飛ばした「希望」というタンポポの綿毛が、都会で空虚感を抱え生きている人々に希望を与える。




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